ユースキン製薬の、これまでとこれから。
1955
昭和30年3月11日 創業
瑞穂化学工業株式会社設立
1955年初冬、ひどい手あれに悩むご婦人が、“ベタつかずに、よく効くハンドクリーム”を求めてユースキン製薬の創業者である野渡良清が営む薬局を訪れました。ところが当時、そのような商品はありません。ご婦人はしぶしぶ、ベタつく油脂を買って帰りました。良清は、ご婦人の不満そうな様子が気になってしかたありませんでした。そこで、良清はベタつかないクリームの発売を志し、その開発を知人で東大で乳化を学んだ研究者であった綿谷益次郎氏に依頼しました。
ありし日の綿谷先生(66才)
昭和30年 野渡良清(左、当時40才)と綿谷先生(右、当時66才)
瑞穂化学工業創業時の製品は、トキゾールという殺虫剤だったんだよ。クリームと同じ乳化技術が使われているんだ!
1957
昭和32年3月
ユースキンクリームの製造・発売
良清は、「なんとか、あのご婦人に喜ばれるハンドクリームを作りたい」そんな想いから開発を重ね、とうとうベタつかない親水性のクリーム「ユースキン」が出来上がりました。それは、抗炎症成分のカンフルが放つ独特の香りと、ビタミンB2による黄色が特徴の荒れ止めクリームでした。
昭和32年 中央薬局仮営業所
ユースキンの名前の由来は「あなたの肌」という意味があるんだよ。(あなた=You、肌=Skin)
1957年
ユースキン発売
1968
昭和43年4月
ユースキン製薬株式会社に社名変更
良清は、自ら製品を自転車に積んで、川崎や横浜、東京の薬局を回って販路開拓に奔走しました。薬局を一軒一軒回って、サンプルを置いてもらい、気に入ってくれた人に販売してほしいと根気よく説明しました。地道な活動が功を奏し、「ユースキン」は徐々に市場でも認められる存在になりました。ユースキンが売上げの大半を占めるようになった1968年、「ユースキン製薬株式会社」に改称しました。
この頃の営業車は、トヨペットのマスターラインバン(トヨタ自動車)っていうんだ。1台だけだけどネ。
1973
昭和48年4月
横浜市鶴見区に
横浜工場竣工
1955年の創業当時の工場は、川崎球場から場外ホームランが届くほどの場所でした。木造の倉庫を改装したもので、規模と設備はまさに家内工業でした。やがて、薬事行政の厳格化と生産量の増加に伴い、1973年、横浜市鶴見区に移転し、本格的な医薬品量産設備を導入していきました。
創業当時は、大きな設備がなく、クリームは大きなヤカンに入れてガラス瓶に注がれて作られていたんだよ。
1955年 境町工場
昭和48年 横浜工場
横浜工場内部
1973年
ユースキンが
ユースキンAに
1983年
ユースキンAの
パッケージ変更
1985
評価された保湿力
1985年、「ユースキンA」の抜群の保湿力が、当時製品評価で評判だった『暮しの手帖』(第2世紀99号)で評価され、やがて多くの人々の知るところとなりました。
『暮しの手帖 第2世紀99号』
(暮しの手帖社、1985年)
サラダ記念日
1987年、ベストセラーとなった俵万智さんの歌集『サラダ記念日』に、ユースキンAが詠まれた短歌が登場します。
俵万智『サラダ記念日』
(河出書房新社、1987年)
発売当初のユースキンは、色と匂いに驚かれ、「これは売れない」と言われることがほとんどだったんだ。その後、サンプルを配り始めると、次第に口コミが広がり、お客様の評価を得ることになったんだよ。
1992年
ユースキン
クリームS発売
2000
11月10日は、いい手の日、
ハンドクリームの日
2000年、11月10日を「いい手の日、ハンドクリームの日」として記念日協会に登録し、制定しました。語呂合わせで、11(いい)10(てん)(手)の日です。当時、過去30年間の気象庁のデータから、都心の最低気温が10度を割る境目の日が、「11月10日」であることが分かったのです。ちょうどその時期からドラッグストアでハンドクリームが売れ始める頃でもあることから、「ハンドクリームの日」としました。
毎年、11月10日前後の休日に、ハンドエキスポというイベントを行っているよ。手荒れでお困りの方々に、ハンドクリームの効果的な使用方法を伝えているんだよ。
2004年
ユースキンI(アイ)
発売
2014年
ユースキンhána
発売
2016
災害に備えて富山に工場移転
2011年、東日本を襲った大地震と大津波による被災の様子を目の当たりにして、工場と配送センターの構造と立地条件を見直すべきと考えました。タイミングを同じにして、富山市八尾中核工業団地の存在を知ることとなりました。立山連峰と日本海に囲まれた自然豊かな薬都富山は、自然災害が少なく、川崎の本社からの空のアクセスも良いことから、製造と物流拠点の全面移転を決めました。。
富山工場
富山物流センター
富山工場の完成時、北陸新幹線の東京・金沢間の開業と重なり、富山が東京からグッと近くさらに便利になったんだよ。
これからの製品づくり
外皮用医薬品「ユースキン」から成長を始めた当社は、その後、虫刺されかゆみ止め、あせも治療クリームなどの医薬品と共に、スキンケア製品、基礎化粧品も製造するようになりました。医薬品と化粧品では製造上の法的な規制は異なりますが、当社ではもっとも厳しい医薬品製造基準にあわせて化粧品、医薬部外品を製造しています。今後も医薬品を中心に、長年培ったクリーム技術を応用していくことと、効果的な使い方の情報提供をしていくことで、皮膚トラブル、肌の乾燥・かゆみの改善に貢献していきたいと考えています。